ども!
守形レイジです。
今日はちょっと僕の思ってることをいいたいのよ。
付き合っておくれ。
幸せについて考えたきっかけ
実は先日こんなことがありました。
要約すると、一番くじ発売日に引きに行って、3回中2回A賞を獲得。
まだまだくじとそれにともなって景品が余っているのに、お店からはA賞が消えてしまった訳です。
最初は初めての経験でテンションがあがりましたし、嬉しかったです。
でも、お店のことを考えたら素直に喜べない自分がいました。
店長さんやお店のことを考えちゃった
店長さんは『A賞を2枚当てたひとは初めてです!』と言ってくれました。
袋詰され、スシジバがなくなった店頭のスペースを見て僕は『なんか申し訳ないです』と思わず口にしました。
店長さんは『いえいえ、おめでとうございます(^^)』と言ってくれました。
残されたのはB賞以下。
くじは今日発売したばかり。
僕がフランチャイズ店の店長だったら落ち込むかもしれないなあと。
在庫をどうやって捌けさせたらいいのかとか、悩むと思うんですよね。
A賞がなくなったクジに価値なんてあるのでしょうか。
僕は下位賞でも可愛いから引きたいと思ったんですね。
でも、それって間違ってA賞が当たるかもしれないという淡い期待があるから成り立つ欲だと思ったんです。
下位賞でも欲しいけど、本当はA賞が欲しいという気持ち。
もしA賞がなかったら、その店では引かないだろうなあ。
自分だけが富や財を独占しても、幸せになんてなれない
クジごときで考えすぎと言われればそれまでです。
でも、なんか気づいちゃったんですよね。
きっと自分だけがお金持ちになっても、きっと満たされることってないんだろうなって。
むしろ虚無感を埋めるのが辛いようなきがするんです。
自分の家族や、親しい人が笑顔じゃなかったら、やっぱり喜べない。
自分がお金持ちになったとして、でも親友がホームレス状態だったりしたら、多分僕はどこかで複雑な思いを抱え続けるんだろうなって思うんだ。
もちろん、富を有していれば、持たざる者に分け与えることはできる。
でもさ、そういう科学的なもんじゃないよね。
持ってない人にもプライドはあるし、その人にとって収入源の確保がテーマであることには変わらない。
よくわからなくなってきたねw
何がいいたいかというと、隣で腹減って死にそうな人がいるのに『ウメェ!』って言いながらピザを食えるような図々しさは僕にはないんだなって思った。
自分さえ良ければいい。そんな時期もあった。
小さい時はそんなの考えなかったな。
なんでも独占できたほうがいいし、お小遣いもおもちゃも沢山欲しかった。
友達が親におもちゃを買ってもらえなくても、自分には関係ないって思ってた。
むしろ自慢してたかもしれない。
分け合った方が幸せだ!
でも、歳をとったからか分からないけど、幸せはわけあったほうが楽しいってことが分かったんだよね。
旨いもの手に入れたら、家族や友人と一緒に食べる。
昔、両親と兄弟で夜食のラーメンを分け合って食べてた時、旨かったんだよね。
でも、あるとき一人で一杯食べたら、なんだか虚無感があった。
そんな感じで、わけあったほうが一人で食べるよりもずっとおいしいし、楽しい。
一人で沢山の量を食べても、虚無感の方が勝るんだよね。
やっぱり、みんなが笑ってるほうがいいよなあ。
なんか今回の一件で、家族や友人の大切さに改めて気が付きました。
また、知らない人であっても笑っていて欲しいし、幸せを感じて欲しいって思いましたね。
あの店長さんにはなんだか申し訳ないという気持ちを拭い去れないけど。。。
今後新しいクジが入ったら、あそこの店を贔屓にしようかな。
自分が幸せになりたかったら、親しい人を笑顔にするところからはじめなきゃなと気がつけたのが今回の一番の収穫でした。
おわり。