あなたは何十年も大事にしているものってありますか?
初任給で買った時計、大切な人から貰ったプレゼントなどなど。
中学高校時代のジャージを大人になっても寝間着にしている人もいます。
僕はあまりそういうのがないので、ちょっと羨ましいんです。
人や動物には愛情がもてる
妻や娘への愛が止まらない
僕にも家族はいるわけで、当然妻や娘のことが大好きでたまりません。
結婚したり子どもができるまでは、自分の命にかえても他者を護りたいという気持ちなど理解できなかったのですが、今となっては子どもか自分のどちらかしか助からない情況があったならば子どもを助けて自分は死んでもいいくらいに思っています。
まあ、現実的な問ではないのでしっかり生きて支え続けたいです。
彼女らの笑顔のためならいくらでも頑張れます。
よほど危害を加えてきそうな人物以外は嫌いになりきれない
完全にヤバいやつとは距離を置いたりシャットダウンしますが、ちょっと嫌なヤツくらいならそこまで嫌いになれないんですよね。
「この人はコミュニケーションのとり方が不自由なんだ」とか、「本当は仲良くしたいのにやり方が分からないんだ」なんてふうに思う瞬間があるんですよね。
そうすると同情心ではないですが、彼・彼女は被害者かもしれないと思うと寂しくなるときがありますね。
まあ、大人になってからはこういう機会も減りましたが、義務教育や高校時代はありましたよね。
周りはその子をハブったりするのですが、そこまでドライになれなかった。
子を持つとなおさら意識が変わるもので「この人にも親がいるんだ」と思うと、愛おしくすら感じる瞬間があります。
必ずしも愛されて育った保証などないけど、自分の子どもを悪く言われたりいじめられたりして喜ぶ親なんてこの世に一人もいませんよ。
最近は職場や生活で多少嫌な事があっても(ほぼないですが)、許せるようになりました。
退職するときも、仕事は嫌いでしたが、僕を育ててくれた上司やパートさんたちとの関係性が切れてしまうことがつらかったなあ。
こればっかりは違う形で偉くなって活躍をみてもらうしかないと考えています。
動物たちへの感謝の念が止まらない
動物園の動物を見ると狭い空間でも楽しく懸命に生きている姿に感動したり、一生懸命に彼らを育てたであろう飼育員さんのことを想像すると軽く涙してしまいます。
また、目の前で動き回る動物を見て喜ぶ娘の顔をみると、動物たちへの感謝の念が湧いてきて、これまた軽く涙してしまいます。
生きとし生けるものすべてへの『生まれてくれてありがとう』が止まりません。
HOME MADE家族 MICROさんに共感
家族をはじめ、ありとあらゆるひとを愛しているMICROさん。
アウトデラックスに出演されたときにこんなことをおっしゃっていました。
以下覚えてる範囲で概略を
町を歩いていると、自転車に乗って空き缶を集めて生計を立てているおじさんがいる。(ホームレスの方のような)
その彼にも子供の頃があって、その彼には自転車の乗り方を教えてくれたお父さんやお母さんがいる。
そして彼は今、そのお父さんやお母さんが教えてくれた自転車で生計を立てている。
お父さんやお母さんを彼から感じると、そのおじさんすら愛おしく思える。
矢部さんやマツコデラックスさんは笑っていたけど、僕はすごく共感しました。
話し終わった後にMICROさん軽く泣いてるんすよね。
僕も泣きました。
モノへの愛着が薄すぎる
ここまで読んでくれたあなたは、僕は並くらいの愛情のある人間だと分かってくれたと思います。
ただ、そんな僕ですが『モノ』への愛情が薄い気がするんです。
『モノ』といっても様々だと思うので、一応定義すると『工業製品』の類でしょうか。
常に『一生モノ』で買っているつもりではある、、、
服が好きでいろいろ買ってきた僕ですが、昔からずっと着たり持っているというものはほぼ無いと思います。
高校生の時から自分で服を買うようになりましたが、そのときから「破れても着るし、ものによっては直してでも着る」というつもりで買っていました。
しかし考えてみましたが、高校から大学2年までの間に買ったファッションアイテムはおそらく手元に一点も残っていません。
大学3年からはDior Hommeにハマったので、ジーパンなどありますが、全く履いていません。
一応ラグジュアリーブランドの類のアイテムは残していますが、、、
時計やアクセサリーもほっとんど手放しましたね。
まあ、ブランド物でもなかったですから値段も殆どつかなかったと思います。
初任給やボーナスでまともに買ったものがない
たまに『初任給で買った時計を今でも大切にしている』みたいなコメントを見聞きすると羨ましく思います。
しかも初任給でオメガの時計とか買ってるんすよ?
みんな初任給っていくら貰った?
僕なんて5万円しかもらえなかったで!
締め日の関係で仕方なかったとはいえ、車のローンやもろもろも支払いで赤字だったため、なにかを買う余裕などありませんでした。
ボーナスがあるだろといわれるかもしれませんが、入社一年目ということで5万円程度しか出ませんでした。
「マジかよ、聞いてねえよ、、、 」
他の会社の友人がガッツリ満額もらってるのを聞いた時は死にたくなりました。
冬のボーナスが多少増えたので時計を買った
もう社会人なので、予備校時代から使っていた5000円の時計がいいかげん恥ずかしくなってきたところで時計を買いました。
GUCCIのGタイムレスです。
店頭で10万円くらいでしたかね。
文字盤に数字なんて要らないやろくらいに考えているので、数字の代わりにダイヤが埋め込まれてるのにしました。
店頭になくて取り寄せてもらったんですよねえ。
ただ、ボーナスがそれを賄えるだけ出なかったのと、カード払いだったため『ボーナスで買った』感が薄く、微妙な出費となりました。
当時は嬉しかったのですが、あまりにも普通な時計なためにそろそろ新しいのが欲しくなってきました。
新しいものを買おうと思った時に、古いものを処分したくなる
『頑張って汗水たらして稼いだ金』という意識も低かったのも原因かもしれません。
いや、頑張って働いてましたよ?
でも、歩合給的なのは一切なくて、頑張っても居るだけでももらえる固定給だったので、『稼いだ』という意識が自分の中で薄かったんだと思います。
それはそうとして、僕は時計や財布、バッグなんかは何種類も持たずに、買うなら前のを処分しちゃうんですよね。
このGUCCIも売ろうか悩んでいるくらいでして、まあ仕事用に降ろすというのが現実的でしょうが、手放して次の資金にしてもいいくらいには思ってます。
財布は大学2年の時にBURBERRY BLACK LABELの長財布を買って、ほぼダメージがないくらいだったのですが飽きて社会人二年目の時に買い替えました。
大事な思い出として取っておく人もいるでしょうが、メルカリで売却。
その時買ったDior Hommeの財布も、飽きてきて次が欲しくなっているところ。
バッグも3万円近く出したPORTER HEATのショルダーですが、新しいのを買って使う機会がなくなったのであっけなく売却。
メッセンジャーは自転車乗るときにはいいんですけど、結局普段使いはリュックが一番ですわ。
メッセンジャーはルイヴィトンのを買ってしまったのでお役御免。
こうして色々売ってしまいましたが、家族にも使う人がいないとなると、売るしか無いんですよね。
ゲームソフトもクリアしたら売っちゃう
クリアしたら二度とプレイしないマンなので、値段が付くうちに売ります。
高校生くらいまではこの感覚はなかったのですが、大学生くらいからこんな感じになりましたね。
手元に残っているPS3のゲームは一本もありませんのでBlu-ray再生機と化しています。
今は妖怪ウォッチ2と、ポケモン・サンしかソフトは持ってないですね。
一流のものを持ったことがないからという意見
とある質問掲示板で、物への愛着がもてないという質問がありました。
そこへの答えとして、一流のものを持ったことがないからという意見がありましたが、納得いきませんでした。
その人が言うには
使うたびに肌に馴染む革、トロンととろけるようなカシミヤ、部屋に居るだけで明るくなる絵画。
そういうものに出逢えばわかりますよ♡
だそうです。
う~ん。
別に僕の使ってきたものが三流のものって言うわけではないんだよね。
まず、革とか基本的に嫌いなんですよね。
革靴とか革ジャンはメンテナンスが面倒なので 持ちたくないですし、カシミヤも手入れが面倒。
経年変化とかせっかちな僕にとっては無価値です。
10年も待てないし。
絵画とか美術館で見る分にはいいけど、家にあったらスペース圧迫するだけだし。
いくら物が一流でも、ファッションアイテムに限ったことを言えば『僕を輝かせる物』だけに価値があると思うので、社会一般的に価値があるからといってそれが僕に当てはまるかは別問題。
僕に合わなくなったらその時点で僕にとっては無価値なので、価値を感じる人に渡してまた輝いてもらえばいい。
多分10年以上使っている物って、小2のときにサンタさん(僕のおばあちゃん)からもらったミッフィーちゃんの毛布くらいですね。
破れても縫ってもらっていまだに使っているのでもう20年になりますね。
実家のCDもフィギュアもマンガも全部売ったし、いろんなものを捨てた
会社を休職中に、実家の部屋の掃除を兼ねてありとあらゆるものを処分しました。
200枚はあろうかというCDも売ってしまいました。
僕は結構な邦楽好きで、高校時代のお小遣いはほぼCDに突っ込んでました。
大学でもかなり買いましたね。
好きなバンドのCDも残らず処分しました。
また手に入れるのを苦労しそうなCDまで。。。
フィギュアもマンガも、生活に必要ないものは処分しました。
それまではいつかまた聴くだろう、いつか読むだろうと思ってもったいなくてとっておきましたが、実際はiPodに入れたきり開かないし、マンガも一度読んだら読み返すことはほぼない。
手放したら意外とすっきりしましたね。
特に手放した後で不利益を被ったかと言えばそんなことはありません。
なぜかまだ机の中にあった模試の結果や、プリント、修学旅行のしおりなども捨てました。
もう手に入らないものですが、別に見返すこともないですし。
写真が載っているものやアルバムは大切にしましが、結構捨てるに捨てられなかった勉強系の資料なんかはいらなかったですね。
いつか生まれる子どもの役に立つかもなどと考えて取っておいた教材なんかもありましたが、20年も経てば学習内容なんてガラッと変わりますからね。
かわいいキャラクターのぬいぐるみやグッズには愛着を感じてしまう
ニコニコしているキャラクターなんかには特に愛着を感じてしまって、粗末に扱えないところがあります。
『顔』のあるものは粗末にできないようなきがするんですよね。
フィギュアやぬいぐるみは手放すと言っても、売るなり次の持ち主を探しますよね。
小さい時に、ぬいぐるみを投げて遊んだり、殴ったりしてる友人が信じられませんでしたし、すごく嫌いでした。
大人になっても『命』を感じるものはぞんざいに扱えないです。
自分の娘にもぬいぐるみを与えたりしますが、多分彼女の理解中でその子は生きてると思うんですよね。
『友達』というと大げさかもしれませんが、なんかそういう気持ちってあります。
ポンデライオンの皿が割れてしまったときも、心の中で『ゴメン』と手を合わせるくらいにはリスペクトしています。
モノがなくなっても、思い出は確かに残っている
決して粗末にしているわけではなくて、その『モノ』があることによって彩られた景色や思い出はたしかに僕の中に残っています。
そのアイテムを見ることで、在りし頃にタイムスリップできるような『思い出のチェックポイント』になっているモノもあるでしょう。
でも、なくなっても今の僕を作り上げてくれたことに変わりないわけですし、友達とカードやTVゲームで楽しく遊んだ思い出も残ってます。
あの時聴いた音楽も、手元にCDが無くたって僕の青春を彩ったことに変わりはない。
今まで持ったもの全部が僕の栄養になっています。
持ってないけど、全部持っていると僕は思っています。
本当は愛着を持てるアイテムに出会いたいという気持ちはありますけどね。
雑記
段々と歳を重ねるに連れて残された家族が処分しなければいけないことも考えてしまいます。
僕がブランド物を中心に買っているのって、受け継いでもらえるということがあるからかもしれません。
うちには男の子がいませんが、もしかしたら着てもらえるかなとか、娘の旦那に着てもらえたらとか思ってしまいます。
僕が死んでもなにかモノを通じて僕を感じてもらえたらというのはわがままでしょうが、なんかそういう気持ちは否定できません。
桑田真澄みたいに息子にお気に入りの時計をプレゼントできる父親になりたいですなあ。