涙拭けよ

オシャレを『ファッション・健康・美容・ダイエット・ボディメイク』など様々な視点から考えるブログ。音楽や読書など筆者の趣味についても語ります。

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新卒で入ったブラック企業をクビになった話

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ども!

守形レイジです。

 

もう年度末になると『これを機に仕事やめよう』と決心するひとも多いことでしょう。

実際にブロガーなんかやってると『脱サラしたいんだけど・・・』という相談が来ることもしばしば。

でも、僕は経済的基盤があってのブログであり、多少の娯楽費にしかならないと考えてるのでブログをやることも、サラリーマンを辞めることも止めてます。

そんな僕は2015年3月、新卒で入った会社を辞めました。

 辞めざるを得ませんでした。

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 激務辛すぎワロタ

僕の場合はスーパーの八百屋だったので、とにかく大変でした。

朝は早く、6時30分もしくは7時から仕事開始。

終わるのはいつもは6時半過ぎでしたね。

建物の中は非常に寒いです。

そこで20kgの玉ねぎの箱を何個も台車に積んだり、キャベツの箱など、とにかく重いものを運びました。

よく腰を壊さなかったなあと自分でもびっくりしています。

12時間労働はデフォルトでした(遠い目

 サラリーマン2年目には、記憶力が激しく低下し、鳥頭の状態でした。

とにかく物事が覚えられない。

すぐ忘れてしまう。

そんな状態でしたが、なんとか頑張ってました。

 

さらなる激務が待ち受けていた

なんと新しく配属された店舗は5時出勤の10時退社。

5時間労働なんて楽勝じゃん?

そう思っていた時期も私にはありました。

正確には22時な(ゲス顔ダブルピース

アカン彡()()

来る日も来る日も働き続けました。

なれない業務にパートさんの教育。

自分だってまだまだ半人前なのに、人の上に立つということはこれほど辛いものなのかと実感。

本部からスーパーバイザー(以下クソSV)が応援に来ているのですが、罵倒の矛先は上司ではなく僕でした。

しにたい。

マジでキツかったですね。

売り場のものが埋まらないのを僕のせいにして罵倒。

怒られたところでスピードなど上がるはずもなく、只々精神を消耗するのみでした。

でも、パートさんを守ることだけは自分の努めだと思って頑張りました。

『おい守形ァ!もっとパートを怒鳴れ!』

みたいなことを言われましたが、ここは我慢。

怒ったところで萎縮してしまいますし、何より他にも選択肢があった中でせっかくうちの職場を選んでくれた人を怒鳴れません。

それに、怒鳴って仕事が早くなるんだったらとっくに怒鳴ってます。 

パートさんは一番のお客様です。

辞めた人は会社を悪くいいます。

僕は会社のため、パートさんのプライドのため、盾になると決めました。

来る日も来る日もクソSVは僕に怒鳴り続けました。

 

大の大人が職場で号泣

たった2ヶ月の間に、突然3回も号泣してます。

涙が止まりませんでした。

あんなことはこれ以前にもこれからも多分ないと思います。

流石に毎日17時間も会社に拘束されてたらおかしくもなります。

この頃には目は虚ろになり、感情のコントロールができませんでした。

身体は常に筋肉痛のような状態。

脚がとにかく痛くて歩くのもやっとでした。

家に帰れば23時位。

そこからご飯、風呂。

床に付くのは1時位。

起床は4時。

そんな生活をしていました。

 

身体のケアが出来なかった

1時に床についても、20分〜30分毎に目が覚めます。

もうね、体中が痛くて眠れないのよ。

眠りに入っても、職場で怒鳴られる夢を毎日見る。

今思えばこれがトラウマってやつなんだね

1年経っても、睡眠薬飲まなかったら必ずと言っていいほど前の職場の夢を見る。

これが本当に辛い。

筆舌に尽くし難いほどに。

10数連勤して身体も心もボロボロ。

たまの休みも横になったまま動けずに終わる。

そんな生活がしばらく続きました。

2年目の時に 異変を感じていた記憶力。

この頃には全く物事が覚えられない状態でした。

今頼まれたことをメモしても、メモをしたことを忘れてしまう始末。

それが原因で仕事がこなせず、さらなる罵倒とストレスを溜め込むことになりました。

 

突然心臓に痛みがはしり、命の危機を感じる

ある日次の日の準備をしている時でした。

ウッ・・・。

突然左胸に激しい痛みが走りました。

もう死ぬんだと思いました。

あの日の記憶は鮮明に覚えてますね。

もうこの職場で自分は死んでしまうんだと本気で思いました。

 

精神科に電話を掛けた

もう身体も心もボロボロでした。

次の日、仕事が一段落した隙を見計らって精神科に電話をしました。

『もう無理です。』

『助けてください。』

そういうふうに病院の人に言ったのを覚えています。

僕の配属された支店には仕事人間ばかり。

誰にも相談なんてできませんでした。

 

労務不能状態と判断、そして休職へ

不安障害との診断をうけました。

うつ病じゃなかっただけマシですが、とにかく死にそうなことには変わりありません。

精神病は気持ちの問題。

そう思っていた時期も私にはありました。

でも、ある圧力を持って今僕の目の前にその病気がある。

『ああ、僕も精神病患者だ』というある種の絶望とともに『これで命が助かる』

そんなふうに思いました。

病院の翌日、僕は店長の元に診断書を持って行きました。

その後、偉い人との面談もあったりしてなんとか休職することになり、命は救われました。

 

労災?なにそれ美味しいの(^p^)?

『守形君、有給使う?』くらいのことを言われました。

こんだけ働いて労災出ないのかよ。

過労死ライン越えてんぞ。

しかし、当時の僕のメンタルと体力では争うことが出来ず、傷病手当金を受けることになりました。

上司は傷病手当も知りませんでしたからね。

なんで自分に責任がないのにこんなに苦しまなきゃいけないのでしょうか。

本当に辛かったですね。

 

家から一歩も出られず、起き上がることすらも出来なかった

とにかく最初のひと月は寝まくりました。

と言っても、トラウマの如く夢は見てしまうので、安眠は出来ませんでしたね。

 たまに外に出れば、人の波にはすぐ酔うし、1時間外にいただけでも家に帰ればぶっ倒れるくらいの状態でした。

とにかく休んで休んで、毎日寝るのに必死でしたね。

夢を見るのがとにかく辛かった。

 

半年後、会社をクビになる

たった2ヶ月の地獄がこれだけ長引くとは思いませんでした。

しかも労災は下りない。

ある日、会社の偉い人と面談したときに

『会社の規定で半年までしか休めないけど、どうする?』

『もし復帰する気があるのなら、会社に掛け合ってもうひと月くらいなら交渉する』

そう言われました。

人事部長は僕にすごくよくしてくれましたが、会社の規定であれば仕方ありません。

労災であればクビには出来ないのですが、僕の場合は私傷病という扱い。

もう辞めるほかありませんでした。

それが2015年の3月のことでした。

退職後、その会社の関連するところには一度も足を運んでいません。

僕の手元に残ったのはたった10万円の退職金。

そしてボロボロになったメンタル。

それだけでした。

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