ども!
守形レイジです。
最近は写真多めの記事を書いていましたが、今回は平常運転でいきたいと思います。
僕は「まとも」に生きるのをやめました。
僕は僕、自分らしくありたいと思っています。
今回はそんなことをお話していきたいと思います。
世間ってどこのどいつだ!?知ったこっちゃねえ!
田舎で暮らしてると、世間の目を気にして自分らしく有れない人が多くいます。
「世間」っていうのはどこの誰でしょうか。
「世間」なんて人は存在しないわけで、存在するのは、ただ実存する人のみなわけであります。
これは定義する必要がある言葉ですねえ。
要するに近所の人と、親戚とかその辺のことでしょ?
まともに生きれば、その人達が何かしてくれるんですかね?
まともに生きようとして失敗しても、助けてくれるんですかね?
答えはNO
あなたの人生に責任をとれるのはあなただけです。
誰も救ってなんかくれません。
だったらさ、もう解き放とうぜ、自分を。
そもそも、「まとも」ってなんや?
まあ、正社員として就職して、年齢に応じて出世していくことが多くの場合「まとも」とされています。
僕は既に最初の会社をやめてますので、世間の求めるそれではなくなりました。
出世にも関心はないです。
ただ、自分と自分の周辺の人が幸せに暮らせればそれでいいです。
僕はもっと自分らしくありたいんですよ。
ただそれだけ。
熱く死にたい
やがて人というのはもれなく死にます。
僕もいつかはそうなるでしょう。
ただ唯一願うのは、その瞬間に悔いなく死ぬこと。
死ぬというとマイナスに理解する方がいるかもしれません。
しかし、死ぬこととは生きることです。
生き様が、最後の最後に現れるのです。
せっかくの人生、なんの博打も打たずに死ねません。
ありたい自分になるために、リスクは承知で勝負するべきだと、僕は考えます。
そもそも絶対的な正しさなんてない
人を殺すのは基本的にはいけないことです。
法律でそう決まっています。
しかし、いざ戦争になればその数によって評価され、英雄になれるのです。
「正しさ」ってのはそのときのなんとなくの雰囲気に左右されてしまうものなんですよ。
だから、正社員としてキャリアを積むということが絶対的に正しいことではないです。
会社勤めに向いていない人だっています。
自営業ならバリバリ成果を出せるかもしれません。
その代わり安定した待遇はないでしょう。
でも、自分らしく生きられるのなら、安定なんて捨ててしまえばいいじゃないですか。
勝負できないのが最大の問題
漠然とした得体のしれない「正しさ」にとらわれ、何にもチャレンジ出来ないことが問題です。
その「正しさ」や「まとも」はあなたが望んだものなんですか?
そうならばそれでいいです。
違うんだったら、あなたの求めるものを熱く追い求めましょうよ。
年が年だから?
うるせーよ。
今日より若い日はない。
今が一番若いんだから、気がついてよかったじゃないですか。
今この瞬間が最高に若いんですよ。
人生これからです。
たとえ笑われても関係ないっすよ。
三流の人生でも熱ければ上等
飾りなんていらねえ
金、地位、権力、名声・・・・・・
そんなものを度外視してでも、あなたが本当に望むものはなんですか?
世間が言う成功や常識にとらわれてはいけません。
もう一度自分自身で考えるべきじゃないですか?
本当に自分にとって大切なモノを。
もう・・・漕ぎ出そう・・・・・・!
いわゆる「まとも」から放たれた人生に・・・・・・!
天のなかで赤木しげるが言った言葉です。
今日この記事を読んだのも何かの縁であり、きっかけです。
やめましょう。
まともに生きるの。
ではまた次回!